「丹田の位置が分かっていないのに、なぜ肥田式を創始することができたのでしょうか」と町会長。

「肥田春充は指に気が流れないために73歳で亡くなっていますが、経絡的には、指が緩まなければ、足も緩まないし、頭も緩みません。脳の機能が上がるなどと言うことはあり得ません。」

「それは不思議ですね」と町会長。

「唯一考えられるのは、幼児期に頭を打つなどして、脳内の経絡に関係するデーターが消えるという経絡的な進化をしたということです。」

「どういう経絡のデーターが消えたのでしょうか」と町会長。

「肥田春充の画像を見ると、経絡は普通の人と同じように老化する方向に進み、73歳で亡くなっています。」

「それでは、経絡が特殊な進化をしたのではないということですか」と町会長。

「経絡は、先史時代から行われてきたと推定される鍼灸の治療に対する体の変化から作られた仮説です。」

「経絡は、鍼灸の治療に対する体の変化から作られた仮説なのですか」と町会長。

「おっしゃる通りです。先ほど話したように、漢方薬が体質を表す『証』という概念に基づいて使われていますが、実際は、漢方薬が脳に作用して経絡的な変化を起こすために、治療ができるのです。しかしながら、経絡のツボを治療するわけではないので、漢方薬と経絡の関係に気づく人がいなかったのだと推定しています。その結果、『証』という不完全な概念が出来上がったようです。」

「渡辺さんは、食べ物や漢方薬を見ただけで、自分や他人に効果があるかどうか分かるという古代治療師系の超能力があるということでしたね」と町会長。

「若いときには、そういう能力があるということには気がつかなかったのですが、家内や子供は、小さいときから古代治療師系の超能力があったようです。」

「そういう能力を持った人が、古代社会では病人に効く薬草を見つけて、治療していたということですか」と町会長。

「おっしゃる通りです。薬草と病人を見ただけで効くか効かないかが分かるので、経絡について考える必要はなかったと推定しています。」

「なるほど。それでは、『証』というのは、漢方薬の効果を経験論的に説明する大雑把な理論と言うことになるのでしょうか」と町会長。

「おっしゃる通りです。僕の場合は、経絡治療から入り、腎の治療で体が緩み始めてから、突然、鶏のから揚げが骨膜を緩めることに気がつきました。」

「なるほど。その時、漢方系の超能力が目覚めたのですね」と町会長。

「おっしゃる通りです。」

「それでは、漢方系の超能力が上がるにつれて、漢方と経絡の関係が分かってきたということですか」と町会長。

「おっしゃる通りです。それで、漢方薬の効果を含めた経絡の仮説を考えたわけです。」

「それでは、渡辺さんの経絡の仮説と鍼灸学校で教える経絡の仮説とは違う点があるのですか」と町会長。

「おっしゃる通りです。僕は経絡のデーターが小脳にあると考えています。そして、鍼灸師が行う治療は、小脳の経絡のデーターを直接変えるのではなく、小脳の経絡のデーターによって肉体に形成された硬結を緩めると、小脳が硬結の変化に対応するように、経絡のデーターを書き換えると推定しています。」

「そういう観点からすると、肥田春充は、どういう経絡のデーターが消えたことになるのでしょうか」と町会長。

2020/3/17

<イノシシ後記8>
正月の夜に卓球場の裏でイノシシに遭遇して以来、イノシシと出会うことはなかった。ところが、2,3日前、雨が上がった夜の10時頃玄関を出ると、右手2,3メートルのところにイノシシの気配がした。

イノシシは梅沢さんに負けない正直者で、僕が玄関を出ると、驚きの声を上げたのだ。僕が外に出てくる可能性はあると思っていたらしく、声は抑え気味だったが、どうしても声が出てしまうようだ。以前夜10時頃玄関を出たとき、左側のキンモクセイの向こう側ににイノシシがいたが、その時は苔庭を荒らそうとしていて、僕のことは頭になかったらしく、悲鳴に近い叫び声を上げた。

声がした方に懐中電灯を向けたが、イノシシは茶室と蔵の間を通って、椿の影に隠れて見えなかったが、椿の向こう側で小さな声を出してしまっていた。椿の向こうには茶室と蔵を結ぶ孟宗竹が5本設置してあるので、超えたくはないのだろう。

イノシシが椿の向こう側にいるのに、そのままにしておくことはできないので、懐中電灯を椿の方に向けながら突き進んだ。孟宗竹のところまで来たがイノシシは見えなかった。しかし、孟宗竹の向う側にある樫の木の防風林の中でイノシシの息遣いが聞こえた。正月の経験で分かったのは、夜僕と遭遇したとき、吠えなければ、僕がなにもしないことに気がついていることだ。あのとき、すぐに逃げなかったのは、僕が気が付いていても、吠えなければ僕は何もしないと思っていたからだ。僕はイノシシがそばにいても、夜中だと気が付かない。イノシシの常識からすれば、そんなことはありえないのだろう。見えなくても、臭いを隠すことはできないのだから。

それで、今回もすぐには逃げず、防風林の中に身を潜めていたのだ。しかし、激しい息遣いは抑えることができない。僕がいなくなったら戻ってこようと考えているのは明らかだから、そのまま家に戻ることはできない。孟宗竹を超えて懐中電灯で防風林の中を照らすと、激しい息遣いは消えた。

今夜は時間があったので、茶室と蔵の間に孟宗竹を3本追加して、8本にした。息子と切ったときには一人で運べなかった孟宗竹が、体力が上がった今では一人で運べる。気温は0℃だが、孟宗竹を担いだ後なので、寒さも気にならない。孟宗竹を針金で一体化してパワーを上げる作業も短時間で終わった。

2023/2/28