「敗戦になったとき、毎日、数十キロ走ったのが役に立ったのですか」と町会長。

「おっしゃる通りです。敗戦になったとき、そのまま中国にいれば、中国軍やロシア軍の捕虜になってしまいます。」

「満州にロシア軍もいたのですか」と町会長。

「ウィキペディアの『ソ連対日参戦』に、『ソ連対日参戦とは、満州国において1945年(昭和20年)8月9日未明に開始された日本の関東軍、支那派遣軍と極東ソ連軍との間で行われた満州・北朝鮮・北支における一連の作戦・戦闘と、日本の第五方面軍とソ連の極東ソ連軍との間で行われた南樺太・千島列島における一連の作戦・戦闘である。ソ連は満洲・樺太・千島侵攻のため、総兵力147万人、戦車・自走砲5250輌、航空機5170機を準備し、9日未明、満洲への侵攻作戦を、11日に樺太への侵攻作戦を開始し、千島では18日に占守島への上陸を開始した』という記載があります。」

「その頃は、『ロシア』ではなく、『ソ連』という国名でしたね」と町会長。

「おっしゃる通りです。父は、ソ連軍とも戦っています。」

「ソ連軍とは、どういう戦いになったのですか」と町会長。

「ソ連軍との戦いは、物量面で劣る日本軍には、今までにない悲惨な戦いとなったようです。」

「父に聞いた話で記憶に残っているのは、お互いの塹壕から手榴弾を投げ合った場面です。日本軍は、撃針を叩いて信管に点火してから、『1、2、3』と数えて、相手の塹壕めがけて投げるのですが、ソ連兵は撃針を叩いて信管に点火した瞬間に手榴弾を投げていたと言っていました。」

「日本軍は、なぜ、撃針を叩いて信管に点火してから、『1、2、3』と数えて、投げていたのですか」と町会長。

「ソ連軍は、撃針を叩いて信管に点火した瞬間に投げてくるので、近くに飛んできた手榴弾をひろって投げ返すと、ソ連軍の塹壕で爆発するのだそうです。」

「なるほど。『1、2、3』と数えて投げれば、相手がひろって投げようとしたとき、爆発するということですか」と町会長。

「おっしゃる通りです。父は飛んでくる手榴弾を必死で投げ返していたのですが、気がついてみると父の部隊は全滅していたそうです。」

「投げ返せない人が多かったということですか」と町会長。

「父は満州で馬賊相手に10年も戦って来たベテランだったので、そういうことができたのですが、普通の兵隊は、いつ爆発するかもしれない手榴弾をひろって投げ返すことはできなかったようです。」

「ソ連兵も、爆発するのが恐ろしいので、撃針を叩いて信管に点火した瞬間に投げたということですね」と町会長。

「おっしゃる通りです。日本兵も、父のように投げ返すには、ソ連兵が3つ数えてから投げないことを確認しなければなりません。」

「戦場で、そこまで冷静に戦うのは難しいということですか」と町会長。

「そういう状況を経験したことがないのですが、部隊が全滅したことを考えると、仲間が次々と倒れていく状況下で、冷静さを保つのは難しかったのではないでしょうか。」

「部隊が全滅したのに、なぜ、渡辺さんのお父さんだけ助かったのですか」と町会長。

2021/5/18

<筆者の一言>
基礎代謝と髪の毛の関係について説明すると、息子は等身大の鏡がある卓球場に行って髪の毛を切ってきた。筆者も息子も、コロナが流行ってから散髪は等身大の鏡がある卓球場でやっている。筆者は適当にやっているが、息子は髪の毛に強いこだわりがあるようで、上手にカットする。卓球場から戻った息子を見ると、わずかに短くなったような気がするが、それで本当にカットしたのかと思えるような状態だった。

しかし、効果はあった。翌日から毎日200グラム減るようになったのだ。息子は、髪の毛を短くしたことが分からないように、上手にカットしたのだ。<続く>

2024/5/3