「満州に10年もいるほど、『精神注入棒』が気に入ったのですか」と町会長。

「体力があったのでM化していたことは間違いありませんが、古参兵に木刀で手加減なしにたたかれるのが好きな人はいないと思いますよ。」

「それでは、なぜ、10年もいたのですか」と町会長。

「父はやられたことは話すのですが、やりたい放題にしたことは滅多に話さないのです。」

「お父さんが満州でやりたい放題の生活を10年もしていたということですか」と町会長。

「おっしゃる通りです。日本にいたときと同じように、やりたい放題の生活をしていたので10年も満州にいたのだと思います。『中国人の女は風呂に入らないのだが、肌はすべすべしていてきれいだ』と言ったことがあります。」

「中国人の女性は、風呂に入らないのですか」と町会長。

「現在の中国人については知りませんが、当時は、『川で体を洗うだけだった』そうです。」

「しかし、なぜ、そんなことが軍隊で許されたのですか」と町会長。

「ヒントになるのは、父が、『満州に行ったころは、太平洋戦争が始まる前だったので、軍隊ものんびりしたものだった』と言ったことです。」

「『軍隊ものんびりしたもの』と言いますと?」と町会長。

「あるとき、捕虜になった馬賊の武人が、『捕虜として生きるより、武人として戦って死にたい』と言ったのだそうです。」

「清朝の武人は、捕虜として生きるより、日本人と一対一の死闘をして、死にたいということですか」と町会長。

「おっしゃる通りです。腕に自信があったので、死ぬ前に日本兵に一太刀浴びせたいということだと思います。」

「それで、どうなったのですか」と町会長。

「父の上官が、『お前が相手をしてやれ』と言ったそうです。」

「日ごろ上官ににらまれていると、そういうことになるのですね」と町会長。

「上官が精注入神棒でたたくことはあっても、天皇陛下から預かった兵隊を死なせようとするようなことはないと思います。」

「戦前は、そういう考え方だったのですね」と町会長。

「おっしゃる通りです。」

「それでは、なぜ、『お前が相手をしてやれ』と言ったのですか」と町会長。

2021/6/2

<筆者の一言>
電話をかけたら、いつもの受付の女性が出て、院長が治療をしていることが分かった。『差し歯が取れた』と言ったら、すぐ治療してもらうことができた。

しかし、院長は急激に衰えていた。最初に気がついたのは、声が以前のように出ないため、何を言っているのか聞き取れないことがあることだった。首が萎縮して、発声に問題が生じているのだ。こうなると先が知れている。そして、どう治療していいのか決断できないので、ブツブツ独り言を言いながら治療する。脳の機能低下で歯科医としての超能力が働かず、治療の仕方がわからないのだ。1年もすると、案の定、1本は取れてしまった。しかし、院長が生きていて治療をやっているのは驚きだった。<続く>

2024/5/20