9月28日の梅澤さんとの試合のために、丸善の卓球場に行くと梅澤さんは既に来ていた。顔が焼けているので、「海水浴にでも行ったのですか」と聞くと、「一日中室内生活で、日を浴びることなんてないよ」と言う。「でも顔が焼けてますけど」と言うと、「俺って、日焼けしている」と他の人に聞いた。その人も「焼けてるけど」と答えていた。

試合は、第1セットは0点、第2セットは1点、第3セットは1点という記録的な惨敗だった。試合に惨敗して日焼けではないことにやっと気がついた。梅澤さんは、僕が教えた肥田式強健術で陽転していたのだ。梅澤さんは思いっきり強くなっていた。その証拠に、東京都の主催で行われた市町村卓球大会の30代の部で優勝(http://www.maruzenclub.com/topics/1828;梅澤さんは写真の左端)していた。ついに全日本のサーティースの優勝が視野に入って来たようだ。梅澤さんが公式戦で優勝したのは中学生の時だけだったので、今回の優勝は思いきり嬉しかったようだ。『小6の娘さんが高校生を含むジュニアの部で準優勝したので、絶対に負けられないと思った』と嬉しそうに言っていた。

僕は長年梅澤さんと試合をしているが、今までに合計で2セットしか取ったことがない。今年の春は、動体視力が上がった結果サーブが全く入らなくて惨敗を繰り返していた。少し重いラケットでサーブを打ってみたら良くなったので、日本で一番重いと言われる『剛力男子』の中のウェブでは手に入らない最も重いラケットを梅澤さんに頼んで、取り寄せてもらった。このラケットなら勝てると思ってやった試合はひどかった。フォアで打ったボールが全てネットにかかってしまって惨敗した。試合が終わってから、「ちょっとラケット貸して。ドライブってこうやって打つんだよ」と言いながら近くにいた高校生と模範演技を始めたが、梅澤さんは一度もボールが打ち返せなかった。「梅澤さんでも剛力は重いんだ」思って笑ってしまった。

5月になると動体視力がさらに上がったため軽いラケットを使っていた時と同じレベルの球が打てるようになった。そして6月の試合では、フォア前に出した短いサーブを梅澤さんがフリップでフォアに返してきたのを、フォアのど真ん中に打ち返して、ノータッチで抜くことができた。2回だけだったが僕としては記念すべき快挙だった。7,8月は、梅澤さんが試合で忙しいので毎年お休みになっている。その間に動体視力が一気に上がってフォアの威力も増し、空中で大きく曲がるロングサーブも2種類打てるようになったので、バックで打ち返してきたのをフォアで打てば楽勝だと考えていた。

ところが試合が始まると考えていなかったことが起こった。大きく曲がるサーブをバックハンドで打ち返され、フォアで強打するところまでは、作戦通りだったが、その強打したボールを3~4メートル一瞬で下がり、カットで余裕をもって返されてしまった。それをバックに強打しても簡単に返されてしまうのだ。「こりゃあ、だめだ。サーティースで優勝できるレベルじゃないか」とパニクってしまった。今まではフォアの強打を下がって返されることはあっても、2発目は必ず決まっていた。おまけに、バックに来るサーブが思いっきり切れていて、バックハンドで打つとネットの上から4分の1あたりに引っかかってしまた。切れていないサーブを混ぜられると卓球台をオーバーしてしまった。僕の卓球理論では、動体視力が上がれば克服できる問題だったが、梅澤さんの動体視力の伸びの方が大きかったのだ。

どうも、梅澤さんは膝に問題があるため生き残った種族の末裔のようなのだ。そのため、腎虚であるのが正常なように進化していると推定される。その梅澤さんにメールで肥田式のやり方を教えたことがあったが、実際にやって見せたのは3、4カ月前だった。その結果、肥田式ができる史上4人目の人になっていたのだ。肥田式で膝が緩むと足の小指の内側から出て足の内側を上がる腎経に気が流れるようになる。すると、肥田春充や僕に起こったように、腎虚が改善して皮膚の色が日に焼けたような色になる。

肥田春充は73歳で亡くなっている。理由が知りたくてウェブで晩年の画像検索をしてみると、両手の指に全く気が流れていなかった。僕の経絡理論から推定すると、これが何も食べずに73歳で亡くなった原因であると思われる。ところが驚いたことに、梅澤さんは指が緩み始めていた。肥田春充は東洋医学や西洋医学の陰の本を持っていたと推察されるが、梅澤さんは陰の物を何も持っていないのかも知れない。もしそうなら、梅澤さんの動体視力がどこまで伸びるのかわからないという状況になってしまったことになる。

※写真を見ると梅澤さんは陽の気を放っているが、つい最近まで陰だったので、肥田式で陽転したということになる。娘さんも連動して陽転している。僕も40代半ば過ぎに陽転したが、その時も陰だった娘が連動して陽転している。

2019/9/30